海外駐在員だった私が青年海外協力隊になるに至った事の顛末(後編)

オチョ(@diadecanicula)だけど、この記事では一部上場企業で海外駐在員をしていた私が会社と決別し、青年海外協力隊員といきさつを書くことにする。

前編はコチラをチェック↓

海外駐在員だった私が青年海外協力隊になるに至った事の顛末(前編)

2017.06.19

後編は前編の書類審査に合格に引き続いて、2次選考(面接)~合格~会社を去るところまでを書く。

青年海外協力隊2次選考

面接直前にまさかのお前は落ちる宣言(からの秀逸なアドバイス)

オバチャン
そんなことでは青年海外協力隊にはなれないよ

一瞬、“えっ!!”と思った。

2次試験の会場、運命の面接まで残すところあと1時間というまさかのこのタイミングでこんなことを言われるなんて、まったくもって想定していなかった。

その日はあいにくの雨。

特に指定はなかったが、みんな当たり障りのない感じのスーツ姿で会場に集う。

その多くは緊張の面持ちだ。

そして自分もまた、多分に漏れず。

冒頭、スタッフから会場の案内、2次試験選考の流れ、諸注意事項などの説明がなされた。

そして一通りの説明が済んだ後、今度は各スタッフの自己紹介があった。

そのなかにそのオバチャンがいた。

JICAの関係会社から、現職参加希望者への説明に来ていたそのオバチャンはどこか、他の人とは違う、何か只者ではない空気感を纏っているように見えた。

現職参加って何?という方は以下の記事も参考にしていただきたい。

給料貰いながら海外ボランティア!? 青年海外協力隊の現職参加制度とは?

2017.06.20

その空気感に誘われるかのように、面接本番までの待ち時間の間、私はオバチャンに話を聞きに行った。

最初は現職参加について軽く聞いてみて、徐々に会社との関係性について悩んでいることを話し、そのうち向こうもグイグイ聞いてきて、面接用に準備していた協力隊を受けた動機や目的について話し込んだ末、協力隊にはなれないといわれてしまったのだ。

オバチャン
今時、国際協力は先進国側が途上国側に何かを一方的に与える時代じゃない。援助する側とされる側、双方がWin-Winの関係になれるような援助のカタチを現地の人たちと一緒になって作らなければならない。会社とのWin-Winの関係作りを考えていない人にそんな活動が出来るとは思えない

グサっときた。

如何に自分が独りよがりな動機でここにいるか、そしてそんなことは見る人が見れば簡単にわかってしまうということが良くわかった。

前編で“きっかけ”はどうだっていい、と書いたが、とはいえこれは選考試験、どんな言葉で志望動機や目的を表現できるかによって面接官に与える印象、ひいては結果が変わってしまう可能性がある。

面接本番まであと1時間、面接用に準備してきたシナリオを書き換えなければならない。

Win-Winをキーワードにして、新しいシナリオをノートに走り書きした。

面接本番

面接は合計2回あり、それぞれ見られる部分が違う。

1つは人物面接で、志望動機や目的、人間的な資質、活動に対する意気込み等を量るためのもので、もう一つの技術面接はその活動に見合った技術を持ち合わせているかどうかを量るものである。

正直、技術面接のほうは全く問題ないと踏んでいた。

自身の持つ社会人経験や海外駐在を含む海外営業マンとしてのキャリアをそのまま事実に即して話せば事足りるし、保持しているTOEICスコアも十分なものと考えていた。

問題は人物面接のほうである。

それこそ志望動機が恨み節、現実逃避、などと評価されてはお終いだ。

上述した、面接直前の書き換えも反映し、ざっと以下のような問答で面接は行われた。

面接官
先ずは志望動機を・・・

オチョ
シンガポール駐在員から突然の人事異動をきっかけに、会社に頼らず得られる更なる海外経験を求めて受験した

面接官
動機はわかったけど、なぜそれを実現する手段が青年海外協力隊でなければならなかったのか・・・

(きっかけははっきりと正直に)

オチョ
現職参加を想定し、金銭的に一番負担をかけずに海外経験を積めて、更には英語以外の新たな外国語にも取り組める手段として、青年海外協力隊が一番効率がいいと考えた
加えて、青年海外協力隊として海外経験を積み、2年後にその経験を会社に還元することが、今このタイミングで転職するよりも、会社とWin-Winな関係を構築する最良の手段である、と考えた

面接官
中南米地域への派遣を希望しているようだけど、その理由は?

オチョ
昨今、自動車産業をはじめとする製造業は、特にメキシコを中心とした中南米地域に製造拠点を移す傾向にある
一方で当社はまだ、中南米地域のマーケットを営業計画として数値化できるだけの土壌が出来ていない
なので、中南米地域での活動を通じてスペイン語を習得し、更にラテンアメリカ地域のビジネス慣習を身につけることが、2年後の会社とのWin-Winな関係を築く上で重要であると考えた

(ちなみにこの時まだ、トランプ政権は誕生していなかった)

面接官
会社はオチョさんが選考を受けている事実を承知?

オチョ
選考のことも現職参加制度を利用することも既に承知済みで、直属の上司にも人事にも話は通してある

(一次試験合格の段階で話していたことが幸いし、自信を持って回答できた)

面接官
家族は何と言っているのか?

オチョ
家族にも報告済みで、既に承知している
但し、アフリカ・中東地域への派遣は母親に強く反対されており、要請によっては辞退しなければならない

面接官
そうですか、中南米地域は人気だから合格の幅が狭まるかも知れませんが・・・

(と、いわれたが母との約束なのでやむを得ない) 

面接官
最終的に、会社に自身の活動を理解してもらえなかったら、君はどうする?

(恐らくこれが、人物面接特有の意地悪質問、人間性が問われるとすぐに察知し、切り返す)

オチョ
会社が反対するとすれば、その理由は2年間の人材流出というネガティブな発想が軸になっているのが原因として考えられる
なので“2年間の人材流出”という視点を“2年後の新たな人材の獲得”というポジティブな視点に変えてもらえるような説得、話し合いをすれば理解してもらえると思う

我ながら、アドリブで2年後の会社への還元などという心にも無いことをスラスラとここまでよく言えたものである。

直前に書き換えたシナリオもなかなかの出来栄えだ(何度Win-Winという言葉を使ったことか、、、)。

これぞ、口八丁手八丁で培ってきた営業経験の賜物というものである。

以上のような感じで、面接はほとんど想定していた問答に終始して完結した。

手前味噌ではあるが、一次試験の書類審査でかなり綿密にストーリーを作りこんだことや、会社・家族への根回しが事前に滞りなく済んでいたこと、おまけに心身ともに超ど級の健康体であることが、意地悪質問をそれほど受けることなく円滑に面接を終えられた要因であろうと考える。

謎のオバチャン忘れられない言葉

面接を終えた帰り道、雨はすでに上がっており、燃えるように赤く染まった夕焼けが私の帰り道を希望の色に染めて、、、と、ブログ的にはそんな風に美しく詩的に書いてみたいが、残念ながらあまりの緊張とそこから開放された安堵感とのギャップとで帰宅時の記憶はほとんどなく、雨が上がっていたかどうかすらもよく覚えていない。

ただ強く印象に残っているのは、名前も知らないオバチャンとの出会い、そこで受けた秀逸な助言だ。

オバチャン
エリートにはエリートの宿命ってものがあるのよ

自分のこれまで積んできたキャリアをエリートと表現されたことはなかったし、自分でも自分のことをエリートなどと思ったことはないが、自分の不運な境遇を聞いた後にオバチャンが言ってくれたこの言葉が妙に印象に残っている。

私はこの言葉を私なりに解釈し、大切な言葉として心にとどめておくことにした。

そして密かに、あのオバチャンの正体は実はJICAでもトップクラスに偉い人で身分を隠して面接会場に潜伏していたんじゃないか、などと少し本気で考えている

青年海外協力隊 選考試験合格

ようやく見えてきた、という思い

結論から言うと、私は青年海外協力隊の選考試験に合格し、晴れて青年海外協力隊となった。

結果を知った上での合格発表時の心境などさほど興味をそそるものではないかとは思うが、一応丁寧に描写してみる。

 

記録的猛暑となった灼熱の釜山にて、心拍数は最高潮に達していた。

スマホを操作する指は震えていた(かもしれない)。

合格発表はJICAホームページ上に合格者の受験番号が掲示されるのだが、どうやらスマホ版ホームページはPC版ホームページと時間差があるらしく、合格発表が掲示されているはずの時間になってもなかなか発表が見れず、やきもきしながら何度も、くるっとした矢印ボタンをタッチしてページ更新を試みた。

しばらくしてようやくスマホ版ホームページにも合格発表が掲示された。

液晶画面いっぱいに無意味な数字が羅列されているのをスクロールしながら、そこから唯一自分にとって意味のある数字を探す作業を始める。

あっ!

スクロールする指を止め、番号を何度も確認する。

間違いない、合格だ!

あぁ、

ほっと胸をなでおろす。

こうして私はお隣の国、韓国は釜山にて、自分が青年海外協力隊の選考試験に合格したという事実を知った。

因みにそのとき私は、真夏の韓国・釜山にて壁にペンキをせっせと塗る作業をしていた。

お盆休みに有給休暇をくっつけて社会人生活で最長の休暇期間を作ったのも、その休暇を使って釜山の壁にペンキを塗る活動をするのも、全く奇妙な巡り合わせだが、更にそこで青年海外協力隊二次選考合格の結果発表を確認するというのは、なんとも異様な光景であった。

気になる要請内容

合格は確認できたものの、まだ油断は出来ない。

どこの国のどんな要請内容で合格したのかは、自宅に郵送された合格通知を見るまでわからない。

韓国にいてはそれを確認できなかったのだ。

喜びの50%は日本に帰るまでのお預けとなってしまった。

帰国後早速、休暇中に累積した不要なチラシたちを掻き分け、郵便受けに入っていた合格通知を確認する。

うっすら青いJICAの封筒を開けると中には合格通知だ。

まず、一番最初に確認したのは派遣国である。

グアテマラ

よし、希望通りの中南米、スペイン語圏だ。

続いて、要請内容である。

同封されていた書類に目を通すと、概要は以下の通り。

トトニカパン県トトニカパン市、経済省中小企業開発局にて現地の中小零細企業の販路開拓、生産性向上、一村一品活動の普及による経済的自立の支援

なんというか、これは、完全に希望通りの要請内容である!

読んだ瞬間、心が躍った!

いや、もはやカラダも踊りださんばかりの嬉しさがこみ上げてきた!

井戸も掘らんし学校建てるでもない、ビジネス経験を活かした支援ではないか!

しかも派遣地名がトトニカパン

なんともかわいらしい名前ではないか!

この瞬間ようやく、次の2年間歩む道が現実味を帯びて見えてきた。

シンガポーから帰国しておよそ半年が経過しようとしていた。

永遠のように長い、暗い、先の見えない半年であった。

あぁ・・・・・・・・・・長かった・・・本当に。

お盆休み明けの初日、喜び勇んで合格結果を上司に報告した。

オチョ
希望通りの国、職種で合格しました!
年内いっぱいで休職に入ります!
バイビー!

どや顔で胸を張って報告する私(いや、さすがにバイビーとまでは言っていないが)。

結果を聞くや否や、青い顔して後釜の心配をし出す上司。

わかってはいたことだが、“合格おめでとう”などという言葉は無かった

いいさ、それで。

我ながら良くがんばったものである。

選考の都合でどうしても時間はかかってしまったが、それでもシンガポールのチャンギ空港で青年海外協力隊について調べ始めてからここまで、最短距離で前だけを向いて突っ走ってこれたのではないかと思う。

いろんな人の助言や支えに導かれながら、先ずは切符を手に入れた。

夕方5時、終業の鐘がなる。

社員一同、形だけの起立・礼をして、お偉いさん達が帰宅しやすい空気を作ってあげると、また席についてパソコンにかじりつく。

いつもの見慣れた光景だ。

私は、いつもどおり起立も礼もせず、静かにパソコンの電源を落とし席を立つ。

ここで働く人たちと自分との間に、見えない線のようなものが引かれた心持だ。

さて、合格祝いに一人、うまい酒でも飲みに行こうかな。

夕日になるまでまだ少し時間がかかりそうな明るい日差しのなか、足取り軽く帰路につく。

会社を去るとき

鳥のごとく美しく去ろう

“立つ鳥跡を濁さず”というが、ここまで何も残さない鳥も珍しかろう。

私は会社を去るにあたり、文字通り何も残さなかった。

書類は全て処分し、自分の名詞もお客の名詞も全て廃棄し、パソコンに入っていたデータすらすべて削除した。

自分のデスクがこんなに整理されているのを見るのは、新入社員として入社したとき以来のことであった。

“気持ちは理解するが、休職に入るまでの間に何かしら残せるように努力してほしい”と、尊敬する(元)上司からの助言もあったが、私はそこまで大人になれなかった。

有給休暇すら、一日たりとも残っていない。

会社を去るときがきた。

どんなに苦しくても辛くても、有難いことに時間は全ての生命に平等に動いており、そのときはちゃんとやってきてくれた。

定時の鐘が鳴り、カタチだけの別れの挨拶を大人の対応で無難に済ませると、いつものように一人で帰路に着く。

当然ながら、送別会などといった気の利いたものなどない。

打診もされたが、二つ返事で丁重にお断りした。

送別されるような立場でもなければ、そのような関係性をその職場とは築けてもいない。

よって時間と金の無駄である。

“君と一緒にもっと営業がしたかった”

“一緒に働いた日々が懐かしい”

“出来ることなら戻ってきてほしい”

半ば不義理をする形で決別することを選択した私のような人間に、これらの言葉をかけてくださった皆さんには感謝しても仕切れない。

特に工場のみなさんや技術職のみなさんにこのような言葉をかけていただくことは、営業冥利に尽きるというものである。

メーカーの主役は技術であり、工場であると考えている。

私は生真面目で職人気質でちょっぴり頑固だけど親分肌で困ったときにはなんだかんだでいつも助けてくれる日本の技術屋さんたちが大好きで、その人たちのためならどんなに怒鳴られても脇役に徹して身を粉にして働くことにいささかも躊躇しなかった。

私は会社のことも仕事のことも、サラリーマンとして生きることも、それまではどちらかというと好きだったし特に会社を離れるほどの不満も持ち合わせていなかった。

しかしながら、人事権を有するほんの一握りの人たちの采配により、私と会社の関係はそのような有機的な“絆”ではなく、無機的な“雇用契約”的なつながりが色濃くなった。

他のみんなからどんなに有難い言葉を並べられても、私はサラリーマンとして、人事的にどのように扱われたかでしか社内における自身の価値を客観的に判断することが出来ない。

終身雇用の神話が意味を成さなくなったこの時代、一度しかない人生、限られた時間、どうせ働くなら自身のことをより高く評価してくれる人と一緒に働きたい、と思うのが世の常というものである。

鶏が先、説

“卵が先か鶏が先か”などという言葉があるが、私は断然、鶏が先に決まっている、と考えている。

二者のうちでより強大な実権を有しているほうが先手を打つことができ、もう一方は打たれた先手を考慮した上での後手となる。

しかし、たかが後手、されど後手、打つ手は残されているということは先手を打つ鶏は理解しなければならない。

この後手がどのようなものになるか、それを想像する力を欠いている人間は経営、あるいは人事権を有する器ではないということだ。

今回の場合、私をシンガポールから引き抜くことを決定した人間は、その想像力を欠いた人間であった、ということになる。

私は現職参加制度というのを利用し、 会社を2年間有給で休職して青年海外協力隊に参加する運びとなったが、これに対して特段、会社に対して何か有機的な“絆”のようなものを感じることは無い。

まして感謝や負い目などといったことも、一切感じていない。

私はあくまで、雇用契約の範囲内で認められた権利を行使したに過ぎず、それ以上も以下もない。

もちろん、この権利を行使することで会社内でどのように思われるか、今後この会社でキャリアを積み重ねようとした場合にどのような(悪)影響があるのか、それを想像することくらい私には出来る。

休職に入る数週間前に受け取った冬の賞与、その査定で私は最低評価を食らった。

この事実は何を意味するか。

少なくとも私は、“2年後、お前の帰ってくる場所が残されていると思うなよ”、そんなメッセージが込められていると理解した。

いいさ、それで。

私はその先手を考慮した上で、また後手を打つことになるだろう。

それだけのことである。

青年海外協力隊への参加意思を伝えたときの上司達の面食らった真ん丸お目目が思い浮かんだ。

私は心の中でそいつらを笑ってやった。

俺とお前らは対等だ。

負けてたまるか。

終わりに

私は会社を去ったが、会社との関係はこれで終わりではない。

私は現職参加制度を利用して“休職”というカタチを取っているので、会社とはまだ首の皮一枚で関係が継続している状態だ。

この関係性については2年後、青年海外協力隊としての任期を終えたところで何かしらのカタチで決着をつけることになるだろう。

そのときにまた、完結編と題したブログを書こう。

どんなものになるのか、それはこの2年間私がどんな選択をし、どんな行動を取っていくか、によるのだろう。

先ずはそれまで、ちゃんとブログを継続して書き続けることが当面の課題である。

関連記事

この記事と関連して、私が青年海外協力隊に絶対に一発で合格するために意識してやったことをまとめた記事がコチラ↓

社会人の私が青年海外協力隊の選考試験で希望職種に絶対に一発で合格するためにやったこと

2017.08.10

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA