メーカー勤務で垣間見た日本のものづくりの匠とその衰退

青年海外協力隊でグアテマラに来る前、新卒で入社したメーカーで真面目にずーっと勤めていたオチョ(@diadecanicla)だけど、結局会社とは対立してしまって、居場所がなくなって、そんなこんなで地球の裏側まで来てしまったわけで・・・。

まあしかし、対立したとはいえ、メーカーでの仕事は面白かったと、今振り返っても思うし、魅力的な人との出会いもたくさんある職場だった。

因みにメーカーといっても、テレビやパソコンを作っているわけではなく、身の丈以上もあるでっっっかい、インフラ・産業用の機械を、一品一品受注生産で作っていたようなメーカーだ。

インフラを支える、といえば少々大げさだけど、それなりにやりがいもあった。

そこで出会ったかっこいい技術屋のおじさん(おじいさん?)たち、そして工場の頑固親父たち・・・。

記憶をたどってそんな彼らのことを書くことにする。

かつて世界を牽引していた日本のものづくり

今、世界のトップに君臨する国といったらどこを思い浮かべるだろう?

アメリカ?やっぱり中国?はたまたロシア?

恐らくだけど、ここでイギリスって回答する人はあんまりいないんじゃないかな。

イギリスが世界のトップを走っていたのはずっと昔、歴史の教科書の中のお話。

まあ、トップの定義はさておきね。

なんでこんな話をするかというと、私は大学時代、イギリスへ語学留学をして、その時、大英博物館というところにいった。

そこで、ただ漠然と感じたのは、あぁ・・・この国はかつて世界の頂点に君臨していたんだなぁ・・・というもの、まあ、本当にただ漠然とだけど。

そんな漠然とした感じを、日本のメーカーの世界でも感じた。

別に私のいた会社は世界的に有名なわけでもないし、寧ろ国内の公共事業に甘え過ぎて海外展開が全然出遅れているような旧い企業だ。

それでも、かつて東南アジア、南米、アフリカ等々、数々の国に製品を納め、何十年も経過した今でも尚、それら製品は故障せずに稼動し続け、その地域のインフラを支えている。

出張で初の南米、エクアドル。一緒に行った技術屋さんは当時70歳かな。こんなところにも何十年も前の日本の製品があるなんて。

この記事にもチラっと紹介したけど↓

父と子が紡ぐ糸 グアテマラで見たステキなカゾクのカタチ

2017.07.12

そんな環境に身を置いた私は「ものづくり」とか「職人」といったものが身近にいて、どうやら彼らに対し並々ならぬ愛着を抱いてしまったらしい。

ものづくりに惹かれたのは、日本のかつての栄光を垣間見たからなのかもしれない。

ものづくりの匠は国境を越える

お客
トラブルが発生したので、すぐに誰かエンジニアを派遣してください!

営業の私に海外のお客からこんな連絡が飛び込んできたとき、私の頭に真っ先に浮かぶ、この緊急の案件に対応し得る数人のエンジニア、それらは全て50オーバーのベテランの技術屋さんだ。

なかには、「この人を派遣しておけば絶対安心」と、各方面の営業マン・お客から絶大の信頼を得ている60オーバーのスーパーマンもいる。

彼らはトラブルの状況を確認すると、長年の経験と独特の嗅覚で問題の原因となる箇所をすぐに見つけ出す。

時には図面に描かれていない回路の問題まで発見してしまう。

通常は図面に描かれていることが「正」という前提で回路を一つ一つチェックするのだが、彼らに言わせれば「図面にどう描かれていようと、状況から判断して問題があるとしたらここしかない!」なのだ。

  

  

なんてかっこいいんだ!

こんなこともあった。

オチョ
お疲れ様です。状況いかがですか?

ベテランエンジニア
あー、現場に行って調べてみたら単なるお客の設定ミスだったことが分かったよ。帰りの飛行機まで時間余っちゃったから観光でもしてるね!

オチョ
あ、うぃーっす、了解でーす!(笑)

海外に派遣し、現場に到着してわずか30分で仕事を終えてしまったベテランエンジニアとの会話である。

  

  

なんてかっこいいんだ!

技術屋の誇りは言葉の壁を越える

ベテラン技術屋さんの凄いところは単にその技術的な問題解決能力に留まらない。

派遣が終わった後、お客の希望する期日内に、完璧な英文レポートをビシっと作成して出してくる。

文章の構成、データの挿入、写真の挿入といったことはもちろん、その英文の文法もスペルも表現も、完璧なものを作ってくる。

レポートまでもが彼らの作品であり、匠のなす業の一部であるかのように、それは美しさをまとっている

彼らには技術屋としての誇り、中途半端なものを世に出すまいという責任感がある。

その責任感は言葉の壁を越え、元々勤勉な彼らに英語力を備えさせる。

私は受け取ったそれを、右から左へ、お客に提出するだけなのだ。

逆に若いエンジニアは時間もかかるし、英語の表現をいちいち私に確認してくる。

えーーーい、ベテランの諸先輩方を見習わんかい!

工場の「怖い親父」が怒る本当の理由

工場の親父はガミガミ怒る。

工場の親父
てめー!ふざけんなこのやろう!なめてんのあこらぁ!

といった具合だ。

オチョ
や・・・や○ざなの?

と思ってしまうぐらい凄い迫力。

つい先日まで大学生だったぴっかぴかの新入社員にはなかなかショッキングな世界だろう。

でも実は、彼らは別に何でもかんでも頭ごなしに怒るわけではなく、ある法則がある。

例えば、営業本来の仕事(お客との交渉、契約条件の整備)に関しては口出しすることはあっても、そのことで怒ったりはしない。

逆に工場の人への情報伝達について、遅れたり内容が不十分だったりすると、怒り心頭だ。

それも当然。

営業が連絡を取るのは工場の課長クラスの方たち。

彼らは部下達の命を預かっている身。

高圧の電線やクレーン等の重機を扱う現場にはそれなりの危険がつき物だ。

そんな現場の作業工程に影響を及ぼすような対応を営業がしてしまった時はものすごい迫力で怒られる、でもそれは全て部下達を守るため。

そうやって法則を理解して、怒りの裏側にある部下への愛情を感じることができれば、ただビビるのでなく、むしろ現場の動きを考えた情報伝達を意識することが出来、営業の質が上がるというものである。

言葉遣いが多少荒くったって、憎めない、工場の頑固親父達。

そして衰退

プロジェクトが人を育てる。

仕事の質が変わると技術屋の質も変わる。

経済成長の先にあった、日本のメーカーが国内需要だけで潤う時代、公共事業に甘えていた時代、その中で技術屋の質はどうやら変わってしまった。

特に国内のインフラは日本のメーカーにとって甘い汁、海外勢力から高い参入障壁に守られた市場。

一昔前は国内メーカー同士の競争すら、だんごうってやつ?、あったとかなかったとか。

口を開けていれば仕事が舞い込んできた。

利益率の高い国内のプロジェクトで工場の負荷がいっぱいにな時に、海外向けのチャレンジングな案件は

“は?海外?利益率なんぼ?いまそんなんやってらんねーし”

と、ことごとく足蹴にされた。

国内需要がしぼんでいき、談合への規制も厳しくなるとようやく、

やっぱ海外案件大事じゃん!

と慌てて方針変更、

目指せ海外売り上げ比率○○%!

いやいや、もう手遅れ。

国内需要の絶頂期に出世した課長クラスの技術屋さんたちは国境を越えるどころか英語もろくにしゃべれない。

そしてかつてバリバリ世界を牽引していった時代の技術屋さんたちはその役目を負え、一人また一人と引退していく。

私がメーカーに入社したのはちょうど、そんな世界を知る素晴らしい技術屋さんたちの引退間際、新入社員という甘えが許される立場で彼らのキャリアの晩年に一緒に仕事をさせていただき、色んなお話をうかがうことが出来た。

もうあんなハングリーな技術屋さんが生まれることはないんだろうなぁ、と思う。

今となっては、まあ各社に一つや二つ世界で高いシェアを取る技術、製品も残っているけど、とても“ものづくりの日本”なんてお世辞にもいえない状況だ。

ただ、色んな偶然が重なって、幸運にも日本の高度成長を支えたたくさんの尊敬すべき技術屋さんと出会い、彼らの魅力を知ることができたのは事実だ。

それであればせっかくなので、グアテマラでのボランティア活動や2年後の自身の進路にも、そんな「ものづくり」や「職人」と深くかかわることができたらなぁ、なーんて考えている、漠然とだけど。

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