青年海外協力隊として途上国のビジネスを見て思う、企業で胡坐をかくということ

オチョ(@diadecanicula)だけど、グアテマラに来て、早々に感じた疑問がある。

ここで私が出来ることは果たしてなんだろうか?

私の要請内容は、ざっくり言えばグアテマラの中小企業の支援だ。

活動地域で出会った彼らは既にビジネスをしている。

農作物を作って市場で売ったり、民芸品を作って観光客に売ったり、海外に輸出しているような優良企業もちらほらあったりと、その業態は様々だ。

ただ共通して言えるのは、規模は小さくとも、売れるかどうかなんて何の保証もないなか、材料や設備、そして人や技術に投資し、自らの商売を持っているということだ。

 

 

大企業に、

こんな感じで胡坐かいていた私は、途上国でビジネスをしている彼らを目の当たりにして、一体どんな有益なモノを提供できるのか?

 

 

そんな自問自答の日々を「ブログ」というカタチでちょっとだけ晒してみる。

 

日本の企業にて胡坐をかくということ

「胡坐(あぐら)をかく」なーんていうと、私はサラリーマン時代、何も努力していなかったかのように聞こえるかもしれないけど、決してそういうわけではない。

長い時間拘束され、試行錯誤した資料を作り、迅速且つ的確な報連相でチームのコミュニケーションをよくし、お客の満足度を上げるために工夫した。

これらの努力を通して、成長できたという自負もある。

 

ただ、サラリーマン時代の私の努力は新たに仕事を創ることではなく、そこに在る仕事を如何に上手にこなすかに注がれた。

組織に所属し、組織に求められる業務をこなすことで、一先ず生活に困らない程度の給料を受け取ることができた。

業務をより効率よくこなし、より高い成果をあげ、上司に気に入られて評価されることで、受け取る給料の額を定期的に上げることができた。

仮に何か大きな失敗をしたとしても、減給はあり得ても、赤字に陥るようなリスクを負うことはなかった。

 

20代でそこそこの貯金を蓄えることもできた。

少なくとも、今ここグアテマラで見る、畑で栽培したトマトを道端で売っているあのおばさんよりは、あるいは、材料やデザインを工夫して観光客に売るためのミサンガを作っているあのおじさんよりは、私は多くの貯金を持っているに違いない。

 

それでも私は、「どの組織にも属さない自らのビジネス」というものを持ったことがない。

それが、日本の企業で胡坐をかくということ。

 

例えばビジネス学校にて

活動の一環で、ビジネス学校に参加した。

「コスト」をテーマにディスカッションする参加者

この学校では、意欲のある若者やインディヘナの女性グループに対し、経営やマーケティングの手法を基礎から学習できる場を提供している。

外部講師による講義やワークショップを通じてビジネスの基礎を学び、コースの最後には生徒達が自身のビジネス戦略をプレゼンして発表する。

素晴らしいプレゼンの数々

そんなプレゼンの場で、なんとこの私が審査員的な立ち居地に座らされた。

 

 

日本の企業で

胡坐をかいていたこの私が。

 

 

有機農法で育てた果物を加工してジャムを作る女性グループ、Facebook等のSNSを使って自身の作品を販売する若者、

そんな彼らのビジネス戦略を聞いて、この私が何を審査するというのか、

 

 

日本の企業で

胡坐をかいていたこの私が。

 

例えば女性グループ向けのワークショップにて

活動の一環で、女性グループへのワークショップに参加した。

さあ、ワークショップだ

乳飲み子を抱えて参加するせにょーらも

子供を育てながら、時間の合間を縫って市場で仕事をする女性たち。

小さい子を抱えながらワークショップに参加してくれたたくさんの人を前に、先進国である日本から来たボランティアとして様々なアドバイスを求められた。

 

 

日本の企業で

胡坐をかいていたこの私が。

 

 

慣れないワークショップしどろもどろするせにょーらたちに、

「さあさあ、時間が押してますよ!本番のビジネスでは、市場は待ってはくれませんよ!」なーんてことぬかしてやがる

 

 

日本の企業で

胡坐をかいていたこの私が。

 

 

まとめの挨拶で、「ビジネスを続けるには意欲を持ち続けることが大切です、今日はそんな意欲を感じることが出来てとても満足です」、なーんてことをぬかしてやがる。

 

 

日本の企業で

胡坐をかいていたこの私が。

 

そして思うこと

「先進国から来たボランティア」という立場で、途上国でビジネスをする現地の人たちのために何かしようと向き合うたびに、これまで日本で自分がしてきたこととの矛盾とも向き合う羽目になる。

こんな胡坐をかいていたかつての自分がフラッシュバックする

 

 

グアテマラで、活動を通じて出会う人たちはみんなちゃんと自分に投資している。

 

売れるか分からない農作物や手工芸品を作って、それを市場に持っていって、一つ一つ自分の手で売っている。

 

 

そんな姿を見ていると、リスクを負うことなく企業に勤めることの恩恵にあずかってきた自分が浮き彫りになってゆく。

 

 

正直、恥ずかしくもなる。

 

 

これは、恐らく企業に限らず、NGOなどの組織に属していた人や公務員なんかも同じことが言えるかもしれない。

 

 

こんな記事書くと、「あれ、あいつ活動行き詰ってんのか?」とか「自分の存在意義をめっちゃ悩んでるのか?」とか思われちゃうかもだけど、別にそんなことなくて、それなりに活動を成立させる器用さは心得ている。(これもまた、サラリーマン時代に培った力か・・・)

もちろん、別にサラリーマン批判がしたいわけでもない。

 

 

ただ、心のどこかで感じている矛盾というか虚しさみたいなものを全面的に晒す記事が書きたかった。

 

ボランティア活動はしっかりと成立させる、これは青年海外協力隊としての義務だから。

 

ただその活動だけに一辺倒にならず、ちゃんと今感じるこの虚しさと2年間向き合って、大企業で胡坐をかいて思考停止していた自分を見つめなし、2年後、次の道につなげたいな。

 

 

とかなんとか、任地に来て早々に、そんな生意気なことばかり考えている今日この頃。

 

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