エービーシーディーイーエフジー♪
ABCの歌の後はお決まりの、動物やら果物やらの絵を用いたゲーム
ドッグ!
キャット!
アップル!
オレンジ!
小学生のときの英語の授業はお勉強というよりはほとんどお遊びで、見慣れない外国人の先生と一緒にゲームする時間だったので、他の授業よりも好きだった。
授業が終わるとみんなで長い一列を作り、外国人の先生からサインを貰った。
別に有名人でもなんでもないのに、ただ「外国人だから」という理由だけでサインを貰うなんて、今思えば滑稽な話だなぁ。
その列の中、ご多分にもれずスラムダンクの下敷きを持ってウキウキしながら並んで待っていたオチョ(@diadecanicula)だけど、帰国子女でもなんでもなく、日本の田舎で生まれ育った私は「海外」や「外国人」といったものと一切接点を持たずに大学生になった。
そんな私は当然ながら英語なんてひとっつも話せなかった。
「外国人」とは普段テレビの中でしか見られない何か特別な存在で、「英語」とはテストでいい点数を取るために勉強する科目の一つでしかなかった
それでも大学生当時、使えない英語のままに留学したときの苦い思い出、それは今となってはいい思い出。
Contents
少年時代にした初めての英会話、初めての外国人との接触
とにかく、私の生まれ育った田舎に外国人なんていない。
いや、何人かはいたんだろうけど、観光地でもなんでもない地元で生活しているかぎり、外国人と英語でコミュニケーションをとる機会なんてない。
そんな私が人生で最初に外国人と1対1で英語のコミュニケーションをとったのは、中学生のときに修学旅行で奈良を訪れたときのこと。
友達とグループで観光していると突然、外国人旅行客に道を聞かれた。
うっわーーーー・・・・外人に英語で声かけられた!!
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
英語は学校で教わってはいるものの、まさか本当に外国人と話す機会があるとは思っていなかった。
ブルブル震えた。
友達のほうをチラっとみても、彼らも萎縮していて、グループの班長だった私が何とかしなきゃいけない状況だった。
とりあえず、東大寺に行きたがっていることだけは義務教育レベルの英語力でも理解できたので、鼓動が早くなり、胃がキューってなりながらも震える手で地図を広げ、必死になって出てきた言葉が、
「ウィーアーヒアー!ゴーストレート!ターンレフト!」
みたいな感じだった。
はたして伝わったのかどうか、記憶のなかの外国人女性は去り際、どこか困惑したような苦笑いを浮かべていた気がする。
今思えばなんのことはない簡単なやり取りだったけど、これが私の、今でも忘れられない、はじめての英会話。
初めての海外渡航、英語がしゃべれずに挑んだイミグレーション(入国審査)
学校での英語の授業を除いて、外国人とのナチュラルな英会話経験といえばその、中学生のときのことくらいしかなかった私は、そのまま大学生になって「英語が話せるようになりたい」という単純な思考で1年の休学とイギリスへの語学留学を決意。
成田空港からの出国と、「ビーフ オア チキン」くらいのCAさんとの英会話は何とか乗り切り、イギリスに到着。
そこで待っていた最初の関門はイギリスでのイミグレーション(入国審査)だった
事前にイギリス大使館に行って学生VISAも取得し、語学学校からのレターも受け取っていたので、それを見せるだけ済むものだと思っていたら大間違い。
イミグレの黒人のおばちゃんからの質問攻め。しかもなぜか不機嫌!?
ビビりながらも必死に、
「イエス!」
「ノー!」
「(書類を指差しながら)ヒア!」
といって、それでも滞在目的を執拗に聞いてくる黒人のおばちゃんに、極め付けに出てきたセリフが、
「アイウォントゥースタディーイングリッシュ!!」
だった。
そういって何とかその場を切り抜けたときには心臓ばくばく、冷や汗もだらだら。
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英語を学ぶのに出迎えサービスは不要?初めての海外渡航でいきなり後悔
入国審査を抜けると到着ゲートにはプラカードをもった出迎えサービス業者が埋め尽くしていた。
チラホラと見かける日本人の名前も華麗にスルーして私は駅へと向かった。
他の多くの留学生が、ホームステイ先まで直行してくれる出迎えサービスを利用するなか、私は
英語を勉強しにきたんだからホームステイ先への移動くらい英語を駆使してやらなきゃだめだ!
と、出迎えサービスのオプションを入れなかった。
そんな決意を私は秒で後悔した・・・
電車のチケット売り場に行って、
「アイ ウォントゥー ゴー 〇〇 ステーション」
と、目的地をいった。
でも、窓口の人が何を言っているのか、早口すぎてまったく聞き取れない。
とりあえず出されたチケットを、それがあっているのかどうかも確認できずに購入して、いざ乗車。
途中乗換えを間違えたりはしたけど、ロンドンの地下鉄は日本の地下鉄と同様に路線ごとに色分けしてあって、案内表示に従っていたら最寄の駅まではなんとか到着。
ここで更に後悔。
ホームステイ先まではバスに乗らないといけない・・・
バスなんて、日本でも滅多に乗らないのに、外国で、しかも英語がしゃべれないのに、乗れるわけない・・・
SIMカードの買い方も知らなかった私は日本から持ってきた携帯電話で国際電話を使ってホストマザーに電話。
「アイ アライブド 〇〇 ステーション」
最寄り駅に着いた旨は伝えられるも、バスの乗り方の説明を聞いても全く聞き取れない。
かろうじて聞き取れたのはレストランの名前、そこがかろうじて聞き取れたのは日本語でもレストランのことをレストランというからに他ならない。
駅の前を通るバスの運転手に片っ端から話しかけてレストランの名前をいって、
「このバスに乗れ」
といわれたバスに、あっているかどうかも分からずに乗り込む。
親切な運転手さんが、
「ここがレストラン〇〇だよ」
的なことをいってくれて、まぁあってるかどうかはわからないけど降りる。
あたりはもう真っ暗。
ビクビクしながらもまたホストマザーに電話して
「アイ アライブド レストラン〇〇」
すると、
「そこで待ってなさい」
的なことを言ったに違いないので、あってるかどうかわからないけどそこで信じて待ってみる・・・
しばらく待っていると遠くのほうからホストマザーの姿が見えた!
そのときは日本出発から張り詰めていた緊張感が一気に解け、イギリスに来て初めて安堵した。
こうして無事、ホームステイ先に到着した。
因みにこのレストランは最寄のバス停ですらなく、このあと20分くらい歩いたのだけど。
これが私の英語がしゃべれない大学生時代の初海外渡航の初日
初日がそんなだったので、イギリスから帰国するとき、最短・最安値ルートで迷わず空港までたどり着いたときはちょっと感動。
今でこそ、海外駐在を経験してビジネスで使えるほどにまで英語は上達し、グアテマラでのボランティア生活も経てスペイン語も話せるようになったけど、そんな海外ライフの初日ともいえるあの一日、今でもたまに懐かしく思い出す初海外渡航の経験。
先進国か途上国か、あるいは日本から近いか遠いか、そんなことはあまり関係なく、未知の領域に未熟な力で飛び込んで、たくさんおびえてたくさん恥をかく、あのときのどきどきは若い頃の特権だった、としみじみ。
あのとき出迎えサービスを頼んでたって、英語の成長が遅くなるわけじゃないし、そのバス車内で日本人同士仲良くなっておけば、そんなにおびえることもなく、留学序盤をもっと楽しく乗り切れたのかもしれない。
でも、外国語が苦じゃなくなって海外渡航経験も増えていくと、やはり最初のときほどの感動は経験を重ねるごとにだんだんと薄れていくもの。
それを少し寂しいと感じているならば、最初にあれだけ苦労しておいてよかったのかもしれない。
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