先進国はいつごろ途上国の貧困問題から撤退するのか?
貧困問題について、途上国の状況がいかに悲惨か、そこに住む人々がいかに不憫な生活を強いられているか、そしてそれらの問題に取り組むことがいかにやりがいのあることか、といったことを語る人はたくさんいる。
しかし、それらの活動がいつ頃いらなくなるのか、という貧困問題の引き際について語る人はあまりいないように思う。
普通に生活していて得られる情報に基づいたら、そもそも貧困なんてなくならないと思っている人も多いのかもしれない。
もちろん、先進国として経済的に発展している日本にだって貧困の問題はあるのだから、厳密にはなくならないのかもしれない。でも、わざわざ先進国の人々が途上国に出向いてまで解決しなければならないほどに深刻な貧困は割りと近い将来なくなってもいいのではないか。
私自身は「国際協力をやる人間」でありたいというこだわりはなく、寄付等で支援することで関わっていきたいと考えているオチョ(@diadecanicula)だけど、青年海外協力隊になったことをきっかけに、国際協力の現場のことなども考える機会が増えてきた。
ここでは、貧困問題が近い将来なくなるという前提に想像をちょっと膨らませて、日ごろ湧き上がる疑問を言語化したいと思う。
Contents
学生のときに「貧困の終焉」を読んで想像した明るい未来
「自分がおじいちゃんになる頃には貧困問題ってなくなってるんだろうなぁ」
私がはじめてそんな風に“貧困がなくなった世界”を想像したのは学生時代に、ジェフリーサックスさんの「貧困の終焉-2025年までに世界を変える」を読んだときだ。
「極度の貧困は私たちが生きているあいだになくすことができる」現在も世界で10億人以上が「貧困の罠」から抜け出せず、1日1ドル未満で生活することを強いられている。しかし適切な支援により開発を促せば、貧困は過去のものにできる。そしてそのために必要な援助額は、先進各国のGNPの1%にも満たない―。国際開発の第一人者が貧困根絶のための具体策を明らかにする世界的ベストセラー。
本の内容 BOOKデータベースより
本書にて著者は2025年までに貧困は撲滅できる、とうたっている。
この考え方には「楽観的過ぎる」、「現実的ではない」、といった批判もあるようだけど、私自身はこれを読んだとき、開発経済学のスペシャリストとして様々な国際機関で貧困問題の第一線で活躍する学者さんが、本で
「2025年までに貧困は終わらせられる」
って断言しているのだから、きっとそうなんだろう、と、楽観的に考えた。
「自分が国際協力の道に進まなくても世界はよくなっていくから大丈夫だろう」
とすら考えた。
世界の問題から目を背けて、自己中な考え方と思われるかもしれないけど、逆に貧困問題にのめりこんで、仮にもし2025年までに貧困がなくなれば私は40歳になる手前でまた別の目標を模索しなければならなくなる。
少しうがった見方かもしれないけど要するに、当時就職活動を控える大学生だった私にとって、貧困問題というのはそれだけ将来的に先細っていく業界に思えたのだ。
実際、2025年といえばこの記事を書いているのが2018年なので、あと7年しかない。今年新卒の人は20代でその年を迎えることになる。
ジェフリーサックスさんの理論が現実的かどうか検証したわけではないし、2006年にこの本が発売されて以来貧困問題への取り組みがどのように進捗しているかも一切調べたことはないけど、それにしても現役でバリバリ働けるうちにどこかで引き際について考えなければならない時が来るだろう、というのはごく自然な考えだと思う。
国際協力にあこがれる学生にみてほしい動画
普段、メディアから流れてくる情報を見ていたら「貧困問題が解決した世界」なんて想像する機会あまりない。まして、青年海外協力隊になってさまざまな研修を受けたときも、貧困問題が解決した未来を想像する余地など持ち得なかった。それどころか、貧困地域で活動する若者のキラキラした姿をたくさん見たように思う。
ところがつい最近ある動画を観て、
「あれ、実はもう貧困問題の解決って思っているよりも早く実現するのでは!?」
と思ったことがある。
それがこの動画です。
この動画は世界的に有名な公衆衛生学者ハンス・ロスリングさんが「世界について無知でいないために」というテーマでTEDでスピーチをしたときのものだ。
貧困などの国際問題を取り上げて、実際に大衆が持っている「印象」と統計で割り出した数値的な「事実」とのギャップについて語られている。
動画にもあるように、スウェーデン人を対象にしたアンケート結果もTED会場にいる人々にとったアンケート結果も、
貧困問題のことを実態以上に悲観したイメージをもっている
ことがわかる。
そしてその原因については動画の9分以降に語られているように、環境やメディアから植えつけられた「先入観」にあるようだ。
「教師というのは古くなった知識を教えがちです」
たしかに私は青年海外協力隊になった際にJICA関係者から様々な講習を受けたが、そこから得た情報は、貧困問題がまだ顕在化してテクノロジーも普及していなかった頃の実例に偏っていたのかもしれない。
「普通じゃない出来事のほうが面白いから」
われわれが普段目にするニュースや国際協力を啓発するメディアは大衆の目を引くために実態よりもセンセーショナルに貧困を映しているのかもしれない。
そんな日ごろから抱いている疑問を数値的に示されたような感覚だ。
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世界から貧困問題がなくならなくても先進国が携わる必要はなくなるのか
冒頭にもいったように、日本にも貧困問題があるのだから[厳密に言えば]貧困そのものが完全になくなるのはまだまだ先なのかもしれない。実際に困っている人が目の前にいる、という現実はこれからも残るだろう。
でも、先進国がそこに携わる必要性はいつまで残るのか?
私はいま青年海外協力隊という立場で途上国に来ているが、先進国からのボランティアはないよりはあったほうがいいとは思うけど、その人員配置が適材適所かといわれたらそうでもない、ということを率直に感じている。
先ず目を背けてはいけないのは、途上国と一括りにいってもその中には既に貧困から抜け、高等な教育を受け、その国で活躍できる能力や技術を持った優秀な若い人が一定数以上いる、という事実だ。
その国に生まれ育ち、これからもその国にコミットしていく彼らの方が「先進国からきたお客さん」である私達よりも現地の問題に踏み込んでく力がある。それに、彼らが取り組んだほうがノウハウも現地のコミュニティに残りやすいだろう。
また当然、現地で生まれ育った人なら言葉や文化の違いも少なく済む。先に述べたジェフリーサックスさんもその著書で述べているように、貧困問題については画一的な解決策というものは存在せず、各々の国の地理的、歴史的、あるいは文化的な背景を考慮して国ごとに個別の解決策を講じる必要がある、という、いわゆる臨床経済学を提唱している。
医師が患者の病気を診断するのと同じように、地理的・歴史的背景を考慮して途上国の現状を詳しく分析しそれに適した途上国経済開発の援助をすべきだとするClinical Economics(臨床経済学)提唱している
それなら尚更、貧困問題はその国に生まれ育った人たちに任せるべきで、先進国からは後衛的(主に金銭的)な支援に力を入れたほうが全体の効率はあがるのではなかろうか・・・
貧困問題が解決した後の国際協力の未来
いわゆる途上国と呼ばれる国をいくつか訪れたことのある人は、首都にある高層ビルや大型のショッピングモールの数々、そのなかにあるおなじみのマクドナルドやスターバックスといったチェーン店、そしてそこに足を運ぶたくさんの現地の人々をみて、自分がそれまでイメージしていた途上国像とのギャップに驚いた経験があるひとが少なくないのではないだろうか。
町には日本車やヨーロッパ製の高級車も走り、人々はブランド品を買い、若者はスマホをいじりながら歩く。
どうやら世界の均質化が着実に進んでいるという事実は疑いの余地がなさそうだ
それらの現状を踏まえて、国際協力のありかたをアップデートするとどうなるのか、私なりに想像してみる。(ここからはあくまでも私の個人的な想像である)
これまで「貧困問題」がなくなった世界について言及してきた。
一方で、どんなに経済が発展しても、イデオロギーの対立、戦争や紛争、差別、人権侵害、といったような人の人による争いがなくなる平和な世界というのは、残念ながら想像できない。
少なくとも私が死ぬまでに終わるってことはなさそうだぁ、と思っている。
また、当然ながら人知を超えた自然災害や環境問題といったものも、なくなるどころかどんどん深刻化していきそうだ。
私がこの記事で言及している「(なくなるであろう)貧困問題」は、それらの個人の力ではどうにもならない災厄によって否応なしにもたらされた「(なくなりそうにない)貧困状態」は含まれていない。
これからの先進国による国際協力・支援の役割はより一層、そのような「(なくなりそうにない)貧困状態」への支援と、その原因となっている人と人との争いや環境問題の解決に特化していくのではないだろうか。
その場合、求められる人材もより高度な専門性のある知識と技術、ネイティブ並みの語学力、他国のキーマンとも渡り合える交渉力や政治力、あるいは医療の現場に携わる、いわば「目の前の命を救うことができる力」を持った人に集中していきそうだ。
わざわざ先進国からそんな高度な国際協力に携わるには生半可な気持ちではできないことだと思う。また、金銭的な支援は色々と分散するよりも高度に専門性のある国際協力か、もしくは日本人を介さずに途上国現地の優秀な人材に直接いきわたるようになるのが望ましいように思う。
と、そんな風に想像する。
これから国際協力の分野に進もうとする学生に必要なこと
私の想像はここでおしまい。あくまで想像だし、想像は十人十色です。
ハンスロリングスは動画の中でこういいます。
「未来を考えるにはまず現在を知ることです」
世界の均質化もテクノロジーの普及もめまぐるしく変化している中で、これからの未来を担う学生に対してする国際協力の広報活動はいろいろと考えなければならないことが多そうだな、と感じる。
現役で国際協力に携わっているひとは「これまで自分達がどういう経験をしてきたか」だけでなく、「目の前にいる若い人たちが将来的にどんな活躍ができそうか」を想像して求められる人材やスキルを語る必要があるだろうから。
まぁこれは国際協力に限った話ではなく、どの分野の仕事においてもそうですが・・・
学生はせっかく夢を持つなら、「メディアから受動的に受け取った情報」ではなく、「能動的に働きかけて得た情報」に基づいたものじゃないともったいない。
あと広報というのはその存在目的から「過剰であることが前提」みたいなところがあって、あまりに過剰に広報に煽られて理想の国際協力像を膨らましすぎると、いざ現実に直面して
「あれ、想像していたのとなんか違う・・・」
「自分は本当にここに必要なのだろうか・・・」
という戸惑いや下手したら失望を覚えてしまうのでかわいそうだ。青年海外協力隊でもこの手の戸惑いはよくある。
必要とされるのは、
・多角的な情報
→ インターネットを使えば分野・世代を問わず様々な立場のいろんな人の意見や情報を得られる、また、外国語を習得することで世界中のニュースを「日本人向けの編集」を介さずに直接みられる
・専門知識・技術の習得
→ 世界の貧困問題や国際協力において日本人が現地の人以上に適材適所な人材になるには高度な専門知識・技術を持つ必要があり、それを習得するために日々学ぶ努力を惜しまないことが必要
・直接現場を見ること
→ 航空券も低価格化してきて、学生向けのスタディツアーなどの機会も増えており、海外に行くハードルはますます下がってきているなか、現場を見ずにその道を目指す理由が無い
といったところでしょうか。
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