青年海外協力隊の最終報告、後輩隊員やJICA職員の見ている前で悔し涙を浮かべながら声を振り絞るように、このように2年間を振り返った先輩隊員がいました。
あれ、青年海外協力隊って、なんかもっとキラキラした感じじゃなかったっけ?
こんな活動をしました!
こんな成果を出しました!
こんな風に途上国の人を助けました!
CMや映画、クロスロードなどの「編集された青年海外協力隊像」はそんな風にキラキラしています。
でも最終報告で聞く青年海外協力隊の生の声は必ずしもそのようなものばかりではありません。
青年海外協力隊は本当に必要なのか?意味無いんじゃないのか?税金の無駄では?
はたから見ていると、この制度そのものに疑問を持ったり不満の声をもらしたりといった人がいるのを聞くことがあります。
でもそれはもしかしたら、メディアを介して見る青年海外協力退像が先入観になっているのかもしれません。
その先輩に詳しくお話を聞きました。
2年間、泥臭く悩み、もがき苦しんだ先輩の苦労を少しでも垣間見ていただければ幸いです。
Contents
何も出来なかった青年海外協力隊の悩み
何も出来なかったといっても、実力が及ばなくて何もしなかったとかそういうわけではありません。
彼女なりに創意工夫をし、職場の同僚とうまくコミュニケーションをとり、地域の住民の生活を少しでも良くしようと懸命に努力していました。
ただその結果として、そこに根付いた住人の習慣はなかなか変えられなかったというものです。
そこにはいくつか、乗り越えるのが困難な壁が立ちはだかっていました。
言葉の壁
言葉の壁といってもスペイン語のことではありません。
上に添付した画像はグアテマラ国内に混在する現地語を示しています。
そして先輩の活動地域はその中でも特に先住民の現地語が多数混在する地域だったのです。
現地の人同士ですら、
現地語A→スペイン語+現地語A→スペイン語+現地語B→現地語B
こんな風に通訳を介さないとコミュニケーションを取れないような場所でです。
まして日本人のボランティアでは現地の人とコミュニケーションをとるのが困難な状況です。
言葉の違いとは即ち文化圏の違いでもあります。
異なる文化圏の混在する地域でコミュニケーションツールの要である言葉が通じない、これは現地の住民と交流を深める上で大きな障壁だったに違いありません。
政治の壁
途上国における政治は時に公平・公正とは程遠く、一握りの人間による恣意的な操作、反対派への差別が露骨なことがあります。
行政機関に配属された先輩はそれを目の当たりにしました。
行政機関は当然のように、選挙のときに自分を支持した地域を優先的に支援し、そうでない地域の支援をないがしろにします。
ある時、行政の指示で進めていた道路整備の状況に彼女は衝撃を受けます。
道路整備はある家の手前でぴたりと止まった。
理由は簡単で、その家は選挙のときに現行の政府を支持しなかったのだそうな。
そんな環境では、ボランティアとして公平な立場として地域の住民と一緒に活動するのは非常に困難でしょう。
住民の壁
その地域はグアテマラの中でも特に内戦の激しかったところです。
その復興のため、内戦後には欧米を中心として各国から支援の手が差し伸べられました。
しかし住民は、それら過去の支援に心から感謝することができません。
そういってボランティアは住人が大して必要としていないものを押し付ける。
ボランティアは住民があたかもそれを貰って満足しているかのような写真を撮り、自国に報告し、満足げな顔をして帰っていく。
一方的なおせっかい支援の実態です
その地域の住民には、外部からの支援に対するある種の嫌気が蓄積されていました。
先輩は、また外からボランティアが来た、と、冷たい視線を浴びながら活動をしなければならなかったのです。
グアテマラの内戦の歴史についてはこちらの記事が参考になります▼
意味が無いなんでことない!と、キレイごと
確かに数値で示せるような成果がないかもしれません。
ボランティアなんてただの自己満足なのかもしれません。
それでも、先輩の活動に意味が無いなんて私は思いません。
まあ、キレイごとですが・・・
せっかくなので叫びましょう!
選択させたことの意味
もし先輩がその地に行かなければ、彼らは彼らの価値観の中でしか生きなかった!
でも先輩が別の価値観を訴えたことで、住人達は何かしら考えたはずです!
考えた上で、「改善は必要ない」と住人が選択したのですから、その選択は尊重するしかありません!
その選択をさせたことに、ボランティア活動の意味があると思います!
少なくとも私は、他の先輩達の報告、住人の協力を得られた事例と比較して、先輩の活動成果が劣っているなどとは全く感じません!
得られた結果は違えど、どちらのプロセスにも同じだけ重要な意味があるはずです!
優劣なんてありません!
それにもしかしたら、将来的に「やっぱり改善が必要だ」って思うときが来るかもしれません!
先輩の蒔いた種がいつ芽吹くかなんて誰にも分かりません!
先輩が帰国した後も、先輩の残したものは誰かの中に生き続け、その人が次にとる行動にきっと影響を与えます!
要請外の活動
職場内の風通しを良くする為インフォメーションマップをデザインしなおしたり、講習会のマニュアルを作り直したり、外部から来た人間だからこそ気づける違和感を問題提起し、形にしました!
予算は活動先に出させるという姿勢を貫き、向こうの小さな動きを辛抱強く待ち続けました!
同僚が政治的な理由で思い通り動いてくれない、住人が協力的でない、そんなことを言い訳にして引きこもったりせず、先輩は自分に出来る範囲で出来ることを見つけ、それを丁寧に実現させてきました!
一つ一つは小さなことかもしれませんし、JICAの要請とも関係ないかもしれませんが、それは紛れも無い先輩の活動の成果です!
先輩の姿勢そのもの
活動2年間の締めくくりにみんなの前で堂々とそんなことを言える先輩の姿勢、そのものが素敵です!
私だったら、仮に大した活動をしていなくても、自分に都合の悪いことは隠して、それなりにやったように見せようとすると思います!
そうせずに、出来なかったことを出来なかったと、胸を張って発表する姿勢は、活動が上手くいかずに悩んでいる後輩隊員、このままでいいのかと自問自答する後輩隊員に勇気を与えたと思いま!
少なくとも私は、その姿勢に勇気を貰いました!
帰国直前のギリギリのタイミングでそんな先輩の活動を、ほんの一部でも、知ることが出来て嬉しく思います!
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何もできない青年海外協力隊なんていない
ほとんど初対面の先輩に対して、生意気にも自分の考えを直接伝えてみました。
とまぁ、私の薄っぺらいキレイごとは簡単にいなされてしまいました。
先輩のそんな言葉が重く響きました。
私からはこれ以上なにも言うことはないな・・・
でも・・・
・・・
・・・
・・・
なんかその言葉を聞いてホっとしました。
長い人生の中で青年海外協力隊でいる期間はわずか2年間です。
その2年間よりも、その先の長い人生の方がよっぽど大切。
先輩みたいに本気で現地の人と向き合った人は、たとえその2年間で成果が出なくても、この経験は協力隊後の人生にプラスに働くことでしょう。
青年海外協力隊は意味が無い?
まあ、そういう意見もあるでしょう。
でも、そういった批判はそれを運営するJICAという組織にぶつけないと意味がありません。
末端にいるボランティアは、人それぞれではあるけど、自分なりに置かれた立場でできる範囲の中で試行錯誤している人がたくさんいます。
私が見た、あの先輩のように。