「あなたはどの宗教を信じてますか?」
なんて質問、普通に日本で生活していたら滅多にされることはないですよね(てか、されたら怖いですよね?)
ところがどっこい、ひとたび海外に生活の拠点を移すと、このような会話は誰しも一度は経験することになる。
あるいは、日本で海外に携わる仕事をしていると、日本を訪れた外国人から
「仏教とはどんな宗教なんだ?」
「お寺と神社はどう違う?」
なんて質問をされることもあるだろう。
親が仏教徒なので自分も仏教徒だと自覚しているオチョ(@diadecanicula)だけど、この手の宗教の話というのは日本ではタブー、もしくは「宗教ってちょっと怖い」くらいのイメージさえあるが故、突然外国人とこのような話をするときってちょっと緊張したり、返答に困ったりすることがある。
また、大体そんなときに言ってしまいがちなテンプレ回答って、
- 日本には宗教は無い
- お葬式のときくらいしか仏教を意識するときが無い
- 仏教徒でも教会で結婚式挙げるしクリスマスも祝う
といった類のものではないだろうか?
もちろん、宗教の話はデリケートなので、話す場面や相手を選ばなければならないし、「これが正解」という絶対的なものはない。
ただ流石に上述したようなテンプレ回答だけではなんだか教養の無さが透けてしまいそうだ。
私は現在グアテマラで生活していて、このような会話を現地の人とする機会に恵まれているので、これを機に自分が外国人にどうやって仏教のことを説明しているか、まとめてみることにする。
あくまで、 「こんな感じで説明しておけばそれほど深い宗教的な知識が無くてもそれなりの会話が成立し、アツい論争に発展することも無く、互いの考え方の違いを分かり合えることが出来る」程度のものです。
Contents
外国人に説明する、仏教における神様って?
まず説明しなくちゃいけないのが、仏教には神様がいない、ということ。
ここが、他の一神教の考え方と大きく違うところでもある。
この説明をするときは仏教の原点を説明するのが一番手っ取り早い。
仏教の原点は、開祖であるブッダが「老」、「病」、「死」といったいつか自分にも降りかかるであろう人生の苦しみに大して抱いた「恐怖」であること。
そしてこの「恐怖」から開放される試みとしてあらゆる煩悩を捨て去り、悟りを開くことを説いたのが仏教の始まりである。
ブッダ自身は(様々な伝説的なエピソードはあれど)普通の人間で、一神教の創始者たちと違って人知を超えた神や創造主といったものの存在を前提としていない。
だから神様という考え方がないんだよ~、と。
この説明をすれば、仏教徒が教会で結婚式を挙げる理由や、お寺と神社が隣接している理由も、ただ
「日本人は宗教に興味が無いから」
という言い方ではなく、
「唯一神がいないから、他の宗教に対しても比較的寛容なんだよー」
と説明できる。
外国人に説明する、仏教における祈りって?
仏教には神様がいないよ、という説明をすると必ずといっていいほど聞き返されるのは、
「え、じゃあ何に対して祈るの?」
といった類のもの。
特に一神教の人にとっては何か、感謝の気持ちや懺悔の気持ちを伝える対象が欲しいのだろう。
こういうとき私はいつも、
「自然」と「ご先祖様」
と応えるようにしている。
「自然」と「ご先祖様」に対して感謝や祈りを捧げるのは他の宗教にも共通する考え方だし、この二つは科学的にも「今、自分がここにいること」に繋がる大切な要素なので、単純に説明しやすいというのがある。
また、
「自然」に対する感謝や祈りは ⇒ 日本の四季折々の豊かな自然や、農業国である日本の伝統的なお祭り
「ご先祖様」に対する感謝や祈りは ⇒ お墓参り、お線香をあげるなどの日本人の習慣や、お盆などの行事
と、様々な日本の文化についての話に広がりやすいのでオススメである。
また、自然信仰は「山や川などの自然には神が宿っている」という、どちらかというと神道の考え方(いわゆる八百万の神)なので、ここから仏教と神道との違いや親和性について簡単に説明してもよい。
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外国人に説明する、仏教における死って?
「死」もまた、宗教観を説明する上での重要なテーマの一つ。
仏教の基本的な考え方は「輪廻転生」であり、死んでもまた生まれ変わる、というもの。
天国に行くために生きている間の行いをよくするのではなく、生きることは苦であるとする仏教では、この輪廻から抜け出すために生きている間の行いをよくする。
私の経験上、この『生きている間の行いをよくする』理由の違いを説明してあげると、他の宗教を信じる人からも「仏教って面白いね~」という反応に変わってくる。
また、四十九日の考え方も面白い。
人は死後七日目に三途の川に到達し、その後七日ごとに裁判を受け、その最後の裁判が四十九日目にあり、この裁判によって浄土に行けるのか、あるいは次にどんな肉体を得るのかが決まる。
なのでこの日は家族、親戚一堂集まって死者に対して一生懸命声援を送る(お経を読む)んだよー、と。
仏教のことを考えるオススメ本
この記事を書く前に、池上彰さんの本、『池上彰と考える、仏教って何ですか?』を読み、参考にしました。
海外で、せめて恥ずかしい思いをしないくらいの仏教の基礎知識を身につけておきたい、という人にオススメな一冊です。
さすが池上彰さんだけあって、経済や政治の話と同様、仏教の話も一般の人向けに分かりやすくかいつまんで解説してくれます。
この著書は最後、このように締めくくられます。
仏教を知ることは己を知ること。そして、日本を知ることです。
自分のことをよく知り、自分にとって何が大切なのかを知ってこそ、他人や他国の人々が大切にしているものを理解することができるのではないせしょうか。「池上彰と考える、仏教ってなんですか?」本書より引用
おわりに 仏教のことをほんの少し考えてみよう
最後に、私がここ最近、日本の宗教のことを考えるきっかけとなったエピソードを少々。
ある日青年海外協力隊としてグアテマラに行く準備をしていた駒ヶ根の訓練所にて、JICAの語学講師に言われたこと。
「海外において宗教は教養の礎と位置づけられている。「宗教はない」なんて軽々しく言ったら教養が無い、と誤解されてしまうよ」
また、こんなことも言っていた。
「みんな、墓石を蹴ったりしないよね。あれって、冷静に考えたらただの石じゃん?でもみんなそこに何かしらの意味を見出して石とは別のものとして扱っている。その時点でみんなの中に宗教観が根付いていて、それが教養の礎にもなっているんだよ」
と。
確かに、言われてみれば私は墓石を粗末に扱わないし、久々に実家に帰ってきたらお線香をあげるし、お地蔵さんを見たらお手手のしわとしわを合わせて幸せしたくなる。
なんて、その言葉をきっかけに思った、
かと思えば2ちゃんねるの開設者として有名なひろゆきさんも同じようなことを言っていたり、
また、こんなこともあった。
グアテマラには死者の日という、日本で言うお盆のようなイベントがあり、そこではお墓の中で巨大な凧をあげるという、観光客も注目のイベントがあるんだけど、
このイベントを見たとき、多くの日本人が、
「こんなに大勢でお墓の中を走り回ったり、お墓に上ったりして、いいのかなぁ・・・」
なんていっているのを聞いて、
「うん、やっぱ日本人には日本人なりの宗教観がちゃんとあるやん!」
なんて思ったりした。
それと、グアテマラは国民の大多数がキリスト教徒の国だけど、実はマヤの先住民は元々自然信仰とご先祖様の言い伝えを尊重する文化を持っているんです。
本を読んだり映画をみたりして、そんなグアテマラ(マヤ)の人々の宗教観に親近感を感じたり。
マヤ系先住民(インディヘナ)の宗教観って深いし、日本の宗教観にも通じるところがあるなぁと思う
「私たちは自然信仰をしていることから多神教と間違われますがそうではありません。私たちは自然の摂理を崇拝しているわけではなく尊敬しているのです(no adoramos sino respetamos)」
— オチョ@グアテマラでラグビー🏉 (@diadecanicula) 2017年12月28日
リメンバーミー(原題ココ)観ました!超絶おススメ!むっちゃ泣いた!
ラテンアメリカの死者の日が題材だけど、お盆の文化と通じることがあるので日本でも流行るかな〜
舞台がメキシコなのでスペイン語で観て全く違和感なかったのも嬉しい^ ^ pic.twitter.com/3Uff0BQPWt— オチョ@グアテマラでラグビー🏉 (@diadecanicula) 2018年1月14日
このように、日本人が少し敬遠しがちな宗教のおはなしって、ほんの少し意識してみると様々な場面で意外な気づきを見つけたり、違った見方がでたりして面白いな~、と感じることがよくあります。
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