時間を守らない・・・
約束をすっぽかされた・・・
嘘をつかれた・・・
お金がない(くれ)・・・
マンパワーとしてこき使われているだけ・・・
そもそもやる気がない・・・
SNSのタイムラインをながめていると、どこかの国の青年海外協力隊員がまた、このような配属先に対する不満や悩みをこぼしているのを目にする。
青年海外協力隊として活動する2年間は、配属先やそこで一緒に働く同僚(カウンターパート)次第、といっても過言ではないのかもしれない。
そんな配属先へのストレスを抱えた青年海外協力隊のみなさんこんにちは、グアテマラでコミュニティ開発として活動中のオチョ(@diadecanicula)だけど、そんな私も以前は配属先(カウンターパート)に対してとってもストレスを感じていたので、そのことについてこの記事に書きたいと思う。
特に着任してから最初の3ヶ月、この期間に感じていたストレスというのはそれはそれは、なかなかのものだった。
ただ、私が感じていたストレスというのは、上述したようなよく見るものとは若干異なる。
配属先(カウンターパート)が優秀すぎる!
これが、当時私の頭を悩ませていたことだ。
グアテマラでコミュニティ開発隊員として活動している私が、なぜ“配属先が優秀”なことに悩むことがあるのか?
まあ、はっきりいってしまえば贅沢な悩みなのだろう。
ただ、どんなカタチであれ私が悩んでいたという事実に変わりはないし、もしかしたら共感する人もいるかもしれないので書いてみよう。
Contents
私の配属先(カウンターパート)はとっても優秀
私の任地はグアテマラ、トトニカパン県のトトニカパン市。県都ということもあり、割と栄えたところで、インフラも安定しており、町にはスーパーもあったりなんかして生活で困ることはほとんど無い。
おそらく、アフリカやアジアの最貧国に派遣されている隊員からしたら、うらやましがられるような環境だろう。
そして私の配属先は、そんなトトニカパン県にあるグアテマラ経済省の事務所、中小企業開発局というところだ。
同僚はカウンターパートが1人いるのみ、そしてそんな彼は経済省出身のエリート!
まず、このカウンターパートが優秀
これはお世辞でもなんでもなく、100%正直に言って、彼の活動や人間性に対して不満を持ったことが無い。
時間を守るのなんて、そんなの当たり前。
また、さすがはお役所出身で、作る資料はとっても分かりやすく、キチンとしている。
更に、あちこちで積極的且つ頻繁にビジネス講座を開いて、そこにはたくさんの人が集まる。
そしてそこに集まった多くの人々を熱のこもったプレゼンでひきつける。
人脈も豊富で、住民側のグループ、市役所や県庁なとの地方自治体、企業やNGOなどの民間団体などなど、立場の違う様々な幅広い人たちと良好で協力的な関係を築いている。
そして、配属先組織である経済省も優秀
なんたって資金と信用が豊富にある。
3ヶ月に1回くらいは職人さんを集めてフェリア(市)を開催し、地域の職人さんにプロモーションの場を与えている。
しかもこれらのイベントにJICAの資金は入っていない。
全て経済省、ないし他の地方自治体や民間団体とお金を出し合って開催している。
お金を出してくれ!とか、なにか寄付してくれ!とか、そんなの一回も言われたこと無い。
「経済省主催」と銘打ってイベントを企画すればそれなりに人も集まるし、現地の学生を定期的にインターンとして受け入れるなど、「経済省」の看板が持つ信用はなかなかのものだ。
更には、現地の職人さんたちも優秀
コチラの記事でも紹介したように、私が活動のなかで関わっている職人さんのなかには輸出までこなしちゃう、優秀な経営者もいる。
また、職人同士お互いに意見交換をしたりビジネスについて学んだりする場も定期的に設けるなど、グループとしてしっかりと組織化されており、向上意欲もとても高い。
彼らに手作り石鹸の作り方とかミサンガの編み方とか教えるレベルではない・・・
私はいったい何をすれば・・・
配属先(カウンターパート)が優秀なことがなぜ青年海外協力隊の悩みになるのか?
「オレ・・・ここに必要なのか・・・?」
とまあヒトコトで言ってしまえば、そういう悩みだ。
存在意義?みたいなものを考えさせられた。
マーケティングや会計など、教科書に載っているようなキチンとしたビジネス基礎講座をカウンターパートがやっているのをみたときに確信した、
ときには大学の経済の先生を招いて講義をしたりなんかして、仮に同質のものを私がやってもスペイン語ネイティブの彼らがやるほうがより多くを伝えられるのは明白だ。
講義の質だけじゃない。
地域の住民たちや職人グループとの座談会でも、私の優秀なカウンターパートはこんなことを言っていた。
「我々はお金を支援するのではなく、住民達が自らお金を生み出せるような知見や機会を支援するんだ!」
「個人プレーに走ってはいけない、みんなが助け合ってチームとしてプレーするのが大切だ!」
「一村一品運動はモノづくりのためのものじゃない、ヒトづくりのためのものだ!」
と、私が派遣前にJICA講師から聞いたような内容も全て、カウンターパートは理解した上でそのことを熱を込めて伝えており、おかげで私はセリフも全部とられた気分だった。
それもそのはず、彼は日本で1ヶ月間、JICAの講習を受けた経験があり、そこで得た知識を真面目に忠実に現地での活動に生かしているのだ。
そしてJICAの資金に頼ることなく、町の中心地で地元の職人さんによるフェリア(市)を開催しようものなら・・・
とか
とか
って・・・
2年後の最終報告でこんな風に言えたらいいなぁと思い描いていた成果を最初の3ヶ月で全て見せつけられちゃった!!
まあ、グアテマラのこと、甘く見ていたんですかね・・・
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青年海外協力隊の悩みがそんなのって、やっぱちょっとヘンだ!
いや、でもやっぱりヘンだ!
冷静になって考えてみたら、“配属先が優秀”なんて理由で悩むのはやっぱりおかしい!
青年海外協力隊になるきっかけや目的って人それぞれだとは思うけど、程度の差こそあれみんなが共通して心に持っているのは
「途上国の人々のためになるような活動がしたい」
という思いのはずだ。
じゃあ、なんでそんな現地の人のためにがんばっている配属先やカウンターパートを見て悩んでんの?
いじけてるだけじゃねぇか!!
ただ思い描いていた理想の活動や成果と、現実とが違ったからっていじけていただけ。
じゃあそもそも『思い描いていた成果』ってなにか?
よく考えてみると私が派遣前の訓練や研修で聞かされた、いわゆる「青年海外協力隊の成果」ってやつは、現地の組織や住民に何か不足があったり欠陥があったりすることが前提で、それを改善させた、みたいなものだったりする。
その前提が無意識に刷り込まれていたのではないか?
別に、現地に不足や欠陥があることを活動の前提にする必要なんて無いんじゃないか?
つまり悩みの正体は
『自分のやりたいことと現実とのギャップ』
ではなく、
『無意識に刷り込まれた理想の活動・成果像と現実とのギャップ』
なのではないか?
こういったことに気づき、この悩みは徐々になくなっていった。
青年海外協力隊の悩みとの向き合い方
人それぞれ要請や活動環境も違うんだから、他人の活動や研修中に聞いた成果事例と比較して悩むのはよくない。
と・は・い・え
もちろんそんなことは分かっているんだけど、それにしても配属前に思い描いていた活動像と現実とにギャップがあったとき、やっぱり戸惑うし、それが悩みになってしまうことは少なからずあるんじゃないかなぁ、と思う。
特にコミュニティ開発という職種は、学校の先生や病院勤務と比較してルーチンの活動が少なく、『成果』や『やりがい』って見えにくかったりする。
まして派遣国が最貧国ではなく、ある程度の経済発展の途上にある中進国だと、予想以上に国が発展していて、「え、なんか聞いてた話と全然違うじゃん・・・」ってなる人も多いのではないだろうか。(研修で聞く事例の多くがアフリカの最貧国での事例だったりするので)
さて、悩みの正体はわかった、じゃあその上で改めて活動とどのように向き合って、どのように住民の人たちとかかわっていき、ボランティアとして貢献していこうか?
いくら「成果ややりがいなんて人と違っていい!」っていってもこの自問自答をやめてしまったらただの開き直りになってしまう。
悩みと向き合い、乗り越え、どのように今の活動につなげたか、それはまた別の記事に書いていこうと思う。
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